2011年10月24日月曜日

最近の心模様・*:.。. .。.:*・゜゚・*

最近は、日本のあくせくした生活に早くも音をあげつつあります。
大学の授業、、卒論、就活、、。

考えることが山ほど!!

ちなみに、卒論のテーマは「日本人がベトナムで子育てを行うことに
対する考察」です。
実にはやく中身を読みたくなるような題目でしょ!?

ベトナムで出会った、日々子育てをしながらマイライフを生きる日本人女性
女性にスポットをあてつつ、ベトナムにおける子育てにおける通念のような
ものを探っていきたいと思います。

ミキさん、このブログをまだ見ていただけていますか?
ぜひミキさんを改めて取材させていただきたいです!
日本とフエという距離ではありますがU・x・U


でわでわ、、
早く寝て、微熱を下げたいと思います。
おやすみなさぃ。chuc ngu ngon!

2011年10月2日日曜日

映画「小さな哲学者たち」@京都シネマ


これ、みてきました。

初!ひとり映画♪ すこし大人の階段を上ったきぶん。

この映画。。

4歳のこどもが本気で「愛」について「自由」について「死」について語る。
もちろんなにも特別な教育を受けてきた子どもたちではなく、逆にフランスの「教育優先地域」に暮らす移民や貧しい家庭のこどもたち。

先生がろうそくをつけて「哲学(フィロ)」のはじまりです!」というと、子どもたちから「おー!」という歓声があがる。話すのなんてめんどくさい、と言ってる子どもも、次第に必死になって議論に参加してくる。

またこの授業を行う先生の能力も見逃せない。
子どもが発したどんなささいな言葉や、経験ものがさずにひろって、どんどん世界を広げていく。
先生が子どもを、もう子ども扱いしていない。

そして、子どもの変化にきづいて、周りの大人も変化しはじめる。
「家庭での会話が増えた。」や「今日、何を学んだの?」と帰り道にお母さんが子どもに尋ねて、帰り道でも親子で「哲学」をする場面も。


最後は子どもたちが「共に哲学をした友達と、小学校にあがっても離れたくない。かけがえのない友達だ。」と言っている。
結局、「哲学」が先生を含む子どもたちをひとつにし、親と学校をひとつにし、家族までもひとつにした。「哲学」の力ってすごい!!!



「心を素直して、単純なことばで自分の気持ちを表現する」
口で言うのは簡単だけど、これって大人になればなるほど難しいことな気がします。


たとえば、ある子どもが、「死ぬこと」と「亡くなる」ことの違いについて、「『死ぬこと』はまだお棺に入ってなくて、『亡くなる』はお棺に入って、贈り物がたくさん飾られること」と答えた。
ものすごく自然な答えだった。飾ろうとしていないが、明らかに本質をついてる。

「ママが死んだら、ぼくも死ぬ。ママが見る世界と同じ世界をぼくも見たいから。」
4歳の私はどのように答えていたやろう!?


そこで、かなり考えさせられた「自由ってなに?」について。
ある子どもは、「ママがダメと言ったら自由じゃないし、ママがいいと言ったら自由になれる」と答えた。「家から外に出たら自由だ」と答えるこもいた。

じゃあ、今の私って自由なのか?大学生でもう十分、外にも出られるし、親にそれほど干渉されなくなった今は自由なのか。

なんか違う。年が大きくなるにつれて自由じゃなくなってる。結局、一番自由なときって、子どものころだった。大きくなるにつれ、考え方・思考が自由じゃなくなってる。
「これはダメに決まってる。」「成功はいいし、失敗はだめ。」

でも、成功や失敗の基準も自分で決めたものじゃなくて、人や流れている情報から決められたものだった。

今は、本当の自由を求めてもがいている感じ。
心の自由。
行動の自由は、もちろん社会の規則にしたがって生きる。これは大人の義務なので、これから社会人になる身としてしっかり守らねば!!社会の規則がどこにあるのかもあまりわからないけど、要は人としての節度だな。

子どもが自由のままに「哲学」をする様子を見て、私も心のロウソクがふっと灯り、今の自分を雲の上から眺めるような感覚になれた。

やっぱり、「哲学」ってすごい力をもってる。
そして、やっぱり教育者が与える子どもへの影響は大きいなと実感した。
日本の子どもにも伝えたい。「哲学」の力。。

2011年9月22日木曜日

「どらやき販売」から学んだこと。

あまりにも前が長くなったので、改めて考えたいです。

「どらやき販売」から学んだこと。

①日本より発達が遅れている国では、日本では古くても、むこうでは「新しい!」ものになりえる。
 →新しいビジネスを産むことができる

②ベトナム人はまだ創造することに慣れていないけど、教えられた技術を確実に継続する能力はもっている。
 →逆に言えば、創造する力が備われば、普通に日本を超えていけるのではないか??

③どらやき販売を通じて、違う大学の学生同士がとても仲良くなった。(以前までは、レベルの高い大学の学生と低い大学の学生たちはほとんど交流することがなかった。)
 →日本以上に学歴を気にする。交流の幅がせまい。

④どらやきはベトナム人の口に合うようだ!
→ただし甘すぎないのがいい。

⑤ベトナムの屋台ではお茶でお金をとるのはタブー

⑥ものを売るとき、「あと残り少ないよ!」「もう今日で最終日だよ!」という限定感をだすとベトナム人に受ける
→もちろんこれは日本人にも有効だと思うが。

⑦ぱたっと売れなくなったとき、みんなは「いらっしゃいませー」と大声で客引きをしていたが、私が「どらやきを作っている感じをだそう」と提案し、みんなでもくもくと作業をし、数人が声をだすという形をとれば、お客がすぐ寄ってきた。

2011年9月21日水曜日

フエ最終日。そして最近のこと。。

だいぶ間があいてしまった。。これも習慣にしていかないと、日々の細かい心の動きが見えにくくなるな、、、

最近はバイトに旅行にちょろっと就活に精を出したりと、まさにリア充をしています。

さて、今日はいきなりフエ最終日の振り返り。あ、ちなみにこれ以降の文章は今日考えたんじゃなくて、フエからの帰りの飛行機の中で泣きながら書いていた、当時の気持ちができたてホヤホヤの状態でつまったものです。


今日、私はフエを去る。。

朝はミキさんと最後の食事。サイゴンモーリンホテルの朝ビュッフェをなんとごちそうしていただいた><
そのあとはロックちゃんと、今若者の間ではやりの塩コーヒーを飲みに行く。するとメンバーがお店に座って待っていてくれた。
「ゆい、元気??」
きっと、昨日、200個ものどらやきを作って完売したあと打ち上げではしゃいだ私の身を気づかってくれているのだろう、、
私はその言葉だけで元気100倍だ!

そのあとメンバーの手元から大きな青色の扇子があらわれた。上半身をかくすほどの大きさをしている。これはロックちゃんとお父さんが作っているそうだ。この扇子をどらやきの売上でお世話になったミキホテルに贈ろうということになっていた。

みんながミキホテルに来るたびに、そしてミキホテルのひとたちはこれをみるたびに私を思い出してくれるだろうか・・・


そのあとも「ゆいさんのためにTシャツをプレゼントしたい!」と言って売上げをつかってくれるという。私は彼らに何も感謝されることをしていないのに。彼らの純粋な目、そして笑顔を心に焼き付けたい。彼らの笑顔がもう私を癒すことがないと思うと悲しみがこみ上げる。彼らと遊んでいるときに何度も泣きそうになった。


出発の時間。
メンバーがお見送りに来てくれた。
ありがとう、ありがとうと握手をしていると照れて「ゆいさん、元気でね」とはにかんだ笑顔で言ってくれた。
空港に向かうまでの車中で、せきをきったように涙がでてきた。


空港まで一緒にきてくれていたミキさんに惜別の手紙をあずけた。
そして空港まできてくれていたロックちゃん。チェックインのときまでずっとそばにいてくれる。そこでまたうれしいことがあった。みんなで空港をうろうろしていると(ウロウロするほどの広さはないが)、あるおばさんが話しかけてきた。「昨日、あなたが売っていたどらやき買いましたよ!とてもおいしかった。」と言っているのだった。私はもう鼻が高い高い。
フエでどらやきの女として有名人になりつつあるのか!!??

しばらく空港のカフェで、みんなでまったりしていると、ミキさんが息子のレントくんに「もうゆいちゃんとは今日でお別れだよ。」と言った。私はミキさんの息子さん2人(1歳・2歳)がとにかく好きで、心が病んだときや、疲れたとき、いつも2人に会いにいった。レントくんはいつも「これゆいちゃんのコカ(コーラ)ね!」と言って私にくれていた。私がいないときも言ってくれていたらしい。
私はミキさんのその言葉でまた泣いてしまった。
だめだ。。また飛行機の隣の席の人に引かれるパターン。

私が泣いていると、ミキさんも顔をくしゃくしゃにして泣いていた。これにまた私も泣く。。
「ゆいちゃんとはずっと今まで一緒にいた気分だったから、離れることが想像できないわ・・」とミキさんが言ってくれた。私もミキさんをお姉さんだと思っていたし、高熱で苦しんでいたときも病院のベッドで手をにぎってくれていたのはミキさんだった。出産・育児をベトナムでこなすミキさん。バイクだらけの道をクラクション響かせて走るミキさんは本当に今まで私が出会った中で一番強い女性だった。


いよいよ搭乗口へ、、


ロックちゃんとも涙でお互いぐじょぐじょになって何をいってるかわからないくらいになっていたが、「本当にありがとう。どらやきはロックちゃんがいなければ成功できなかった。」とだけはとにかく伝えた。

荷物検査を受けて後ろを振り返ると、みんなが笑顔で手を振ってくれている。
あー私、たぶんフエは第二の故郷になったんだ、と実感した。日本をはなれるとき、搭乗口から振り返ると私の家族が笑顔でてをふってくれていた。フエでもおんなじだ。

飛行機がはなれるとき、ここでお世話になったいろいろな人の顔が浮かんだ。
さよなら。フエ、、

もちろん来年また戻ってくることが強制的に決定している。

2011年9月7日水曜日

フエどらやき販売3日目♪

今日は、バイトで膀胱がいたくなるほど緊張していた。
その理由は、本日から“嵯峨野トロッコ列車カメラマン研修”を受けることになったから。
あ、、別に私しょうらいカメラマンになりたいわけじゃありません。
アルバイトでやってます。
でも、これがかなり燃えるんです!!!!

これについては次で書きたいと思います。


まずは、3日目の振り返りから。


どらやき3日目。(この日は8月27日。。)
最終日。
あまり寝られなかった。というのもメンバーのやる気が尋常じゃないからだ。朝の9時から生地を焼き始めることが決定している。ちなみに販売は18時から。
始めはだるそーなみんなだったが、今では明らかに生きがいのようだ。
私も含め。。
しかし、、眠い目をこすりながら台所に行くと・・・・やられた!!!
誰一人もきていない。ベトナム人はそう甘くはなかった。
そこで、私はどらやきの材料でないものがあったので、今回のフエの旅で最後になるだろうビッグシー(フエで唯一無二の大きなスーパー)に向かうことにした。何度も通ったビッグシー。入り口に入るまでが戦争のビッグシー。懐かしいフエの街を目に焼き付けながらむかう。


旅行とちがって、長期滞在することの魅力はこういうところにあると思う。自分の第2のふるさとができる。
フエへリベンジにやってきたとき、1回目の心細くて消えそうな感覚とはあきらかにちがった。
どれだけ電気ひとつない真っ暗な道をひたすら行っても、なつかしい~と笑顔がこぼれる。
そして何よりもお世話になった人たちがそこにいる。2回目のフエで、「おかえりなさい!」という言葉を聞くたびに、心からあふれる喜びがあった。


さあ!そしてビッグシーで最後のスーパーいっぱいにひろがるドリアンの香りも堪能して無事家にかえった頃、ちょうどメンバーがやってきた。
うん。11時開始だ!
みんなが準備にとりかかっている間、私はしっかりものの日本が大好きなどらやきメンバーのひとり、Locちゃんとオーダーメイドしていたベトナム伝統衣装のアオザイと、チュニックができあがったみたいなのでとりにいった。
しかし、11時半。服の仕立て屋さんがちょうど昼休みにはいり、ドアが頑丈にしめられている。
「えーっ!!!><」っとふたりで叫んでから、向かい側のお店の人に、頼みの綱で「このお店はもう昼休みですか?何時に開きますか?」とたずねてみた。
どうも3時に再開らしい。しかし、30分バイクでやってきた私たちは、やりきれない。。2人でうなだれていると、向かい側のお店のおばちゃんが、「その人の家を教えてあげるよ。行ってみなさい。」といって住所を教えてくれた。

ちょうどここから3分くらいのところらしい。雰囲気のいい住宅街だった。
中をのぞくと笑顔で迎えてくれた。顔を覚えてくれているらしい。
「もう一回お店にもどって!すぐに後をおいかけます。」と言われたので、もう一度店に戻る。どんなものができあがっているんだろう。ベトナム人の服飾技術はいかほどか。。
2分ぐらいすると、バイクでさっそうと店の人がやってきた。そして、何か叫んで帰っていった。
店の鍵を忘れたらしい。実にスローライフ。古風。でもなんかあたたかい。嫌いじゃない。ベトナムのこういうところ。ちなみに、できた服はがぼがぼで、それでなくても体型の見え方を気にする私なのに、最強の着太りする服に仕上がっていた。うん。嫌いじゃない。


さて。家に帰り、どらやきづくり再開。
日本産小豆がなくなったので、ベトナム産あんこを試みるも明らかに違う。粘りがでない。3日目に入り生地のほうは乗りにのっている。もうみんな職人だ。どら焼きがフエの特産になる日も近い。

5時。予定よりも早く準備が終わったので、チャンティエン橋へ向かう。いつものシクロ(ベトナム風人力車)のおじちゃんがやってきて、慣れた手つきで一切合切を荷台へのせていく。
そしてバイクでみんなが出陣する。私はこのときのみんなのわくわくした雰囲気が好きだった。
また今日も薄暗いロケーション。
ただ、開始1時間で100個を売り上げる。どこから聞きつけてきたのか、私たちのところへ一直線にやってくる人がいる。口コミができているのだろうか。
ただ、残り40個くらいになったところでバタッとお客さんが来なくなる。焦る。。。
最終日にこれはないやろぉお・・

他のメンバーは気長にかまえている。物売りに慣れてるんだと想像する。ベトナム一般家庭では、母親が家でつくったものを昼の時間帯に市場に売りに行くのが普通だ。その手伝いを子どもがする。どらやきメンバーの中で、レジ係を担当してくれていたGamちゃんも、客から次々と差し出される紙幣を見事にさばいていた。
私の焦りはなんだったのか。あっという間に完売。
200個を完売した。ものすごい達成感。疲れた顔に笑顔がこぼれる。

本当にここまでが長かった。
どらやきをフエの人に食べてもらいたい。ドラえもんがどらやきを持っているのを、テレビでみるとき、「あーあのとき食べたあれかー」と思い出してほしい。私の使命は決まってたはずなのに、実現するまでが大変だった。みんなの協力が必要なのはわかっていたが、なんせ材料費や時間がものすごくかかる。ミーティングを4回くらいしたが、どれも来るメンバーがちがったり、完全にメンバーは受身な姿勢でのぞんでいた。私がまだまだみんなを統制できていないのかとへこむこともあったが、とにかくどらやきを売ることに対するイメージをつけてもらおうと、自分でできることを着々と進めて、もし誰もついて来なかったら、一人ででも売りに行く覚悟だった。
それで気軽に手伝う感覚で参加してもらう形をとった。が、1日目をすぎたくらいから、一気にみんなのやる気が燃え上がったのが分かった。

謎の高熱やバイク事故などがあり、一時帰国を経て、緊張しながらリベンジをのぞんだ今回のフエ留学。
得たものは大きかった。
なんでどらやきにそこまで熱くなるんって言われるけど、理由は明確でフエの人が「これがどらえもんが好きなあれかあ」といって食べる顔が見たかったから。

そしてこの日、もうひとつ感動的なことがありました。
打ち上げ後、家に帰ったら、初日に後片付けを手伝ってくれた2人が待っていた。
「ゆいさん、後片付けします」
声にならない感謝だった。
どうしてこんな私の自己満に付き合ってくれるんだろう。。
そして、後片付け中、一人が「ゆいさん、楽しいですか?」と聞いてくれた。
当たり前だよーー。そのこは2日目に一人で台所に残って生地を焼き続けてくれていたこだ。また、そのこが「私は疲れたけど、すごく楽しい」と言ってくれた。涙が流れた。ただただありがとう、という感謝だった。

手伝ってくれた2人を見送って、泣きながら部屋にもどった。みんなありがとう。フエありがとう。

2011年9月2日金曜日

フエどらやき販売2日目♪

日本に帰ってくるとほんとにすることおおっっ><
帰ってきましたと報告するメール、、サークル、、
でもやっぱりベトナムでのあの経験はかなり帰国後の生活にも影響を与えていて、あれ以来「社会貢献」ということが私のキーワードになっている。
やっぱり、どらやきを売っているとき、売り終えた後の疲れのなかにみえるみんなのやりがいを得た顔が忘れられない。また、彼らは今週の日曜日にも売りに行くと言っている。

私はしかし、かなり今の私にぴったりな本をみつけて早速読破してしまった。
“20代からはじめる社会貢献”という本だ。
そして、これを読んでまたまた大きく影響された私は決めた!!自分の稼いだお金で、貧しい国の人々の社会に貢献するための財団をつくりたい!!!
大学を卒業してすぐにすることは、社会起業家ではない。それに必要なビジネス・スキルや想いを形にするような行動力を身につけてからだという著者の意見に激しく賛同した。私も社会にでて何かのプロフェッショナルにならければ。そして、それを貧しい国の人たちに供給したい。
どらやきをフエに広めたという小さな成果だけれど、もういちど、あの笑顔をみたい。

さて、、振り返り。。


どら焼き販売2日目。。

いつもは開始予定時刻の45分あとにしか来ない彼らだが、時間どおりに1人の生徒がやってきた。今日は200個を作ると意気込んでいる。

そして続々とみんながやってきた。「ゆいさん!!」明らかに顔が1日目と違っている。昨日よりも手際がよく、率先してやっているのが分かる。
そして本日からベトナム特製緑豆をつかった私特製のあんを作った。なかなか甘みを抑えて作ったので生地との相性がいい。

売る予定時刻になったので、メンバー2人を残して後はチャンティエン橋にむかった。今日も昨日のベストな場所を陣取ろうと思ったが甘かった。他の屋台のおばちゃんが茶々をいれてくる。「そこはもう人がいるからダメだ。」
なので電気がない暗いところで売ることにした。
開始3分。さっそく若者の軍団がどらやきを求めてやってきた。誰情報だろう。。。そして開始1時間で100個のどらやきを完売した。
ホテルでの生地を焼く組は粉がなくなり、買いに行ってはひたすら生地を焼き、後から知ったが、途中から一人だけがひたすらキッチンで生地を焼き、縁の下の力持ちをしてくれていたらしい。寂しい・しんどい思いをさせてしまったと激しく後悔。。

結局、2日目は170個を2時間で売り切った。そして売り上げを豪快に使ってバンカン(ベトナム風うどん)を全員でいただいた。


今日の嬉しかったことは、1日目に10個ほど買ってくれたお客さんが2日目も来て買っていってくれたことだ。確実にどらやきが浸透している。


2日目も目が回るほどに疲れたが、心地のよい疲れだ。メンバーのいくらかも同じ気持ちのようで、みんなで青春を満喫した。


もちろん、緑豆の人気は言うまでもなかった。
ただ、一番人気はやっぱり日本から持参の小豆だった。日本の匂いがするのだろうか、、、

2011年8月26日金曜日

フエどらやき販売1日目

いきなりだけど、ここまでくるのに本当にいろいろあったなあと振り返る。。

私は、大学でベトナム語を専攻している現在大学4年目の3回生。
なぜベトナム語かと聞かれるけど、当時は大学に入ることばっかりを考えすぎて、気づいたらベトナム語を学んでいたという、まさにダメダメ大学生だ。


でも、なぜか今は、こうしてベトナムにいる。しかもものすごく熱くなっている。ベトナムに。そして、ホーチミンでもハノイでもない小さな都市であるフエに。。

私は、1ヶ月前にフエに留学という目的でやってきた。
バイクでこけたり、謎の高熱にうなされたり、、まあ大変で、一度日本に帰国せざるをえなくなったけれど、なんとなく心の中がもやもやもやしていることを自覚し、もぅいちどフエに行くことを決めた。
そのもやもやの原因は自分の使命として感じていた「フエ初!!どらやき販売」をまだ終えていなかったからだ。

そして、またリベンジを果たすためにもう一度フエへやってきた。

そしてそして今日、どらやき販売1日目を無事、開始1時間で完売という快挙で終わることができた。基本人任せで、責任感という考え方がこれっぽっちもないベトナム人とここまでこぎつけるのはなかなか大変だったが、最終的に彼らがいなかったらここまでこれてなかったし、まさにみんなで成し遂げたという思いが強い。

一応、どらやきチームのリーダーとして気をつけたことは
・自分がこうしてほしい、、と思っていることのことごとく裏をついてきても、すべて受け入れてじゃあこれからどうするかで考える
・とにかく写真をとったり、ご飯をいっしょにたべにいったり、彼らとの時間を大切にする
・ひとりひとりの性格を見極めて、この人には何を任せるべきか考える
・とにかくみんなとの時間を楽しむ!!

また、ものすごく嬉しい出来事にであった。
今日、どらやきを売っていると、ギャラリーに混じって一人のおばあちゃんがじっと私の顔を見ていた。「どの味がいいですか」と聞くと、ずっとだまっている。どらやきチームの一人が「この人はお金がないんだよ。この人にただであげるかどうかはゆいさんが決めて」と言ったので、私は迷うことなくどらやきを差し出した。そのときのおばあちゃんの顔が忘れられない。笑顔があふれて、ものすごく誇らしげな顔だった。できるだけ多くのフエの人にどらやきの味を知ってもらいたいという私の願いが一気に叶ったような気がして、疲れが吹き飛んだ。おばあちゃんに捧ぐ。。ドラえもんを見て、私を思い出してくれたらいいなー。

そんな感じで1日目が終了した。
明日もまた気合をいれて、どらやきを売っていこう★
明日はどんなすばらしい人に出会えるだろう、、、