2011年10月2日日曜日
映画「小さな哲学者たち」@京都シネマ
これ、みてきました。
初!ひとり映画♪ すこし大人の階段を上ったきぶん。
この映画。。
4歳のこどもが本気で「愛」について「自由」について「死」について語る。
もちろんなにも特別な教育を受けてきた子どもたちではなく、逆にフランスの「教育優先地域」に暮らす移民や貧しい家庭のこどもたち。
先生がろうそくをつけて「哲学(フィロ)」のはじまりです!」というと、子どもたちから「おー!」という歓声があがる。話すのなんてめんどくさい、と言ってる子どもも、次第に必死になって議論に参加してくる。
またこの授業を行う先生の能力も見逃せない。
子どもが発したどんなささいな言葉や、経験ものがさずにひろって、どんどん世界を広げていく。
先生が子どもを、もう子ども扱いしていない。
そして、子どもの変化にきづいて、周りの大人も変化しはじめる。
「家庭での会話が増えた。」や「今日、何を学んだの?」と帰り道にお母さんが子どもに尋ねて、帰り道でも親子で「哲学」をする場面も。
最後は子どもたちが「共に哲学をした友達と、小学校にあがっても離れたくない。かけがえのない友達だ。」と言っている。
結局、「哲学」が先生を含む子どもたちをひとつにし、親と学校をひとつにし、家族までもひとつにした。「哲学」の力ってすごい!!!
「心を素直して、単純なことばで自分の気持ちを表現する」
口で言うのは簡単だけど、これって大人になればなるほど難しいことな気がします。
たとえば、ある子どもが、「死ぬこと」と「亡くなる」ことの違いについて、「『死ぬこと』はまだお棺に入ってなくて、『亡くなる』はお棺に入って、贈り物がたくさん飾られること」と答えた。
ものすごく自然な答えだった。飾ろうとしていないが、明らかに本質をついてる。
「ママが死んだら、ぼくも死ぬ。ママが見る世界と同じ世界をぼくも見たいから。」
4歳の私はどのように答えていたやろう!?
そこで、かなり考えさせられた「自由ってなに?」について。
ある子どもは、「ママがダメと言ったら自由じゃないし、ママがいいと言ったら自由になれる」と答えた。「家から外に出たら自由だ」と答えるこもいた。
じゃあ、今の私って自由なのか?大学生でもう十分、外にも出られるし、親にそれほど干渉されなくなった今は自由なのか。
なんか違う。年が大きくなるにつれて自由じゃなくなってる。結局、一番自由なときって、子どものころだった。大きくなるにつれ、考え方・思考が自由じゃなくなってる。
「これはダメに決まってる。」「成功はいいし、失敗はだめ。」
でも、成功や失敗の基準も自分で決めたものじゃなくて、人や流れている情報から決められたものだった。
今は、本当の自由を求めてもがいている感じ。
心の自由。
行動の自由は、もちろん社会の規則にしたがって生きる。これは大人の義務なので、これから社会人になる身としてしっかり守らねば!!社会の規則がどこにあるのかもあまりわからないけど、要は人としての節度だな。
子どもが自由のままに「哲学」をする様子を見て、私も心のロウソクがふっと灯り、今の自分を雲の上から眺めるような感覚になれた。
やっぱり、「哲学」ってすごい力をもってる。
そして、やっぱり教育者が与える子どもへの影響は大きいなと実感した。
日本の子どもにも伝えたい。「哲学」の力。。
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哲学的な教育を日本が導入したら世の中どんなふうになるか? 興味深い
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