2011年9月21日水曜日

フエ最終日。そして最近のこと。。

だいぶ間があいてしまった。。これも習慣にしていかないと、日々の細かい心の動きが見えにくくなるな、、、

最近はバイトに旅行にちょろっと就活に精を出したりと、まさにリア充をしています。

さて、今日はいきなりフエ最終日の振り返り。あ、ちなみにこれ以降の文章は今日考えたんじゃなくて、フエからの帰りの飛行機の中で泣きながら書いていた、当時の気持ちができたてホヤホヤの状態でつまったものです。


今日、私はフエを去る。。

朝はミキさんと最後の食事。サイゴンモーリンホテルの朝ビュッフェをなんとごちそうしていただいた><
そのあとはロックちゃんと、今若者の間ではやりの塩コーヒーを飲みに行く。するとメンバーがお店に座って待っていてくれた。
「ゆい、元気??」
きっと、昨日、200個ものどらやきを作って完売したあと打ち上げではしゃいだ私の身を気づかってくれているのだろう、、
私はその言葉だけで元気100倍だ!

そのあとメンバーの手元から大きな青色の扇子があらわれた。上半身をかくすほどの大きさをしている。これはロックちゃんとお父さんが作っているそうだ。この扇子をどらやきの売上でお世話になったミキホテルに贈ろうということになっていた。

みんながミキホテルに来るたびに、そしてミキホテルのひとたちはこれをみるたびに私を思い出してくれるだろうか・・・


そのあとも「ゆいさんのためにTシャツをプレゼントしたい!」と言って売上げをつかってくれるという。私は彼らに何も感謝されることをしていないのに。彼らの純粋な目、そして笑顔を心に焼き付けたい。彼らの笑顔がもう私を癒すことがないと思うと悲しみがこみ上げる。彼らと遊んでいるときに何度も泣きそうになった。


出発の時間。
メンバーがお見送りに来てくれた。
ありがとう、ありがとうと握手をしていると照れて「ゆいさん、元気でね」とはにかんだ笑顔で言ってくれた。
空港に向かうまでの車中で、せきをきったように涙がでてきた。


空港まで一緒にきてくれていたミキさんに惜別の手紙をあずけた。
そして空港まできてくれていたロックちゃん。チェックインのときまでずっとそばにいてくれる。そこでまたうれしいことがあった。みんなで空港をうろうろしていると(ウロウロするほどの広さはないが)、あるおばさんが話しかけてきた。「昨日、あなたが売っていたどらやき買いましたよ!とてもおいしかった。」と言っているのだった。私はもう鼻が高い高い。
フエでどらやきの女として有名人になりつつあるのか!!??

しばらく空港のカフェで、みんなでまったりしていると、ミキさんが息子のレントくんに「もうゆいちゃんとは今日でお別れだよ。」と言った。私はミキさんの息子さん2人(1歳・2歳)がとにかく好きで、心が病んだときや、疲れたとき、いつも2人に会いにいった。レントくんはいつも「これゆいちゃんのコカ(コーラ)ね!」と言って私にくれていた。私がいないときも言ってくれていたらしい。
私はミキさんのその言葉でまた泣いてしまった。
だめだ。。また飛行機の隣の席の人に引かれるパターン。

私が泣いていると、ミキさんも顔をくしゃくしゃにして泣いていた。これにまた私も泣く。。
「ゆいちゃんとはずっと今まで一緒にいた気分だったから、離れることが想像できないわ・・」とミキさんが言ってくれた。私もミキさんをお姉さんだと思っていたし、高熱で苦しんでいたときも病院のベッドで手をにぎってくれていたのはミキさんだった。出産・育児をベトナムでこなすミキさん。バイクだらけの道をクラクション響かせて走るミキさんは本当に今まで私が出会った中で一番強い女性だった。


いよいよ搭乗口へ、、


ロックちゃんとも涙でお互いぐじょぐじょになって何をいってるかわからないくらいになっていたが、「本当にありがとう。どらやきはロックちゃんがいなければ成功できなかった。」とだけはとにかく伝えた。

荷物検査を受けて後ろを振り返ると、みんなが笑顔で手を振ってくれている。
あー私、たぶんフエは第二の故郷になったんだ、と実感した。日本をはなれるとき、搭乗口から振り返ると私の家族が笑顔でてをふってくれていた。フエでもおんなじだ。

飛行機がはなれるとき、ここでお世話になったいろいろな人の顔が浮かんだ。
さよなら。フエ、、

もちろん来年また戻ってくることが強制的に決定している。

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